Jリーグが始まった頃のヴェルディ川崎のフォワードには、キング・カズ、ごっつぁんゴールの名手武田と、マイヤーとかいうオランダ人が居て。
するっと抜け出してズドンと打つ藤吉や、トラップが上手くてそこからボレーで打つ阿部にはなかなか出番が無かった。
中盤はもっと混み合っていて、ラモス、ダイナモ北澤豪、柱谷哲二、後に補強したブラジル人ボランチ・カピトン。
これに生え抜きの菊原も戸塚も山口貴之も居た。さらにすぐ後に桐蔭トリオとかも入団してきた。
この中で
永井秀樹が出場するのはとても難しかった。
同じドリブラーでも、たとえば前園がヒョイヒョイと抜くタイプなのに対し、秀樹は「ゴンゴン行く」というタイプだった。僕は彼のドリブルが大好きだった。
仕事で彼に会った時に、彼の大学の寮の近所に居ましたよ、すれ違ってたかもねと言うととても照れくさそうにしていた。
そう、ビーバーみたいな可愛い風貌と、チャラそうな感じとは裏腹に、とても義理堅く、ストイックにサッカーをプレーし続けている「選手」である。
彼がB代表でプレーした後、もしA代表に呼ばれてトップ下でプレーしていたら…日本はアメリカに行けてたんじゃないかと、今でも思っている。
「優勝請負人」とは聞こえの良い強運な選手だが、あちこちへ移らねばならなかった苦労と、当時のJのクラブのマネジメントの素人さ加減がひしひしと感じられる。
そんな彼について書かれた初めての本。
暴露本では無いから、ズバリあの時のあの監督・マネジメントの誰がどう、という記述は無い。
また、後半、お父さんを亡くすまでのあたりは、兄弟が団結してケアするジーンとくる物語になっている。
開幕当時からのJリーグがどんなだったか、読売はどういうクラブだったか、永井秀樹は何を考えてドリブルを続けるのか、お知りになりたい方はぜひ。