山のように積まれた自分の昔の服だのガラクタを断捨離・こんまり。
写真は初めてアメリカ行った時にLAで買ったTシャツ(まだ着られるので、捨てずに残したv)
この仕分けの後に母と会話。
(今日は、敬老の日に何もしなかったので、和牛ステーキ肉と、マグロ&ウニでカルパッチョにしようと張り切って少々お高いスーパーで食材を買ってあった)
内容は、一昨日だかに電話で話して、僕的には決着が付いている案件。
理解の無い人が母に対してああでもないこうでもないと言い続けた中身を僕にそのまま伝えてきて、「もう、その人と、その件は忘れよう。理解する能力と気持ちと土壌とか、すべてが無いのだから」と話を終えていた件。
ところがよほど悔しいのか、「でもね、」と言って果てしなく続く話。
「こればっかりは、相手の理解が違っているから、手紙でも書こうかと思って」と言うので、『そんなことをしたら先方は、待ってましたとばかりに電話してきて自説をまくしたてて、またこちらが不愉快になるだけだから、矛盾している。』と指摘。
僕は、『もう、この話は、やめよう。五木ひろしでも郷ひろみでもいいんだけれど、たとえばそういうスターのファンが、その人を好きで好きでその人の話をしたくてたまらないならともかく、真逆なのだから、これ以上その人に時間を割くのは、好きだと勘違いされても仕方がないし、まったくの無駄ですよ!』と声を荒げる。
が、これで終わりと言いながら、また話は続くので、このままだと自分が具合が悪くなると思い、ステーキもお刺身もあきらめて、失礼させていただきました。
まったくもっと大人げないというか、敬老精神に欠ける振る舞いで、恥ずかしいことしきりですが。
好きでもない奴の話をするのは時間の無駄で、愛してるとか勘違いされちゃうというのは僕の持論ですのでね。