高校の校長先生が亡くなったと今朝訃報を知った。
学校の向かい側にある修道院が先生のベース、つまり神父様でいらっしゃったので、学校行事には、メジャーな(入学式とか卒業式とか)ものだけご列席だったかと思いますが。
信者は日曜朝にその向かいの修道院側にある教会でミサにあずかっていたので、運が良ければ桑島神父のミサに参列できていた。
2008年に僕は幸運にも、先生をパウロ会修道院にお訪ねし、インタビューさせていただく機会を得て、思い出話・貴重なお話を伺うことができた。
あれから6年…
血気盛んな高校生たちが、あれこれの行事に燃えたり問題を起こしたり少しは立派になってパウロ坂を下りてゆくのをきっと、静かに向かい側から見守っていてくださったのだろうと、今頃になって気づいた。
訃報を聞いてからずっと頭に流れているのは、教会での葬儀ミサでよく歌われる、「神ともにいまして」だ。
街の普通の教会では女性の信者さんも多く、高いか細い声の積み重ねなのだが。
八王子の山奥のパウロの教会では、シスターが数名いらっしゃるだけで、あとは修道士・修道生と僕ら男子生徒だけの、それはそれは太く大きな声がコンクリートの壁に響いていた。
僕らがどうにか無事に山を下りられたのは、桑島先生が優しく見ていてくださったからだと思い、この曲でお別れ。
洗礼名はルカでいらっしゃった。そういえば後輩にルカ君も居たっけ。
アーメン┼
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2008年に先生を取材した時のブログは
ココです。
桑島神父様がパウロ・マルチェリーノ神父と、日本人が当時イタリア人神父にはたらいた大変申し訳ない無礼(注:僕がそう感じで書いた言葉)・そして聖パウロ学園のことについて綴られたサイト記事は
ココです。