小学生からサッカー好きでやってましたけど、ワールドカップをちゃんと観たのは西ドイツ大会。
クライフ率いるオランダ旋風を、ベッケンバウアーの西ドイツが抑えて優勝したので、ドイツ=お手本で染み付いています。
私のadidasかぶれは何度も書いていますけれども、中学時代は黄色いTシャツにロゴが入ったのを買ってた程度でした。
高校に入って、サッカーマガジンに載っていた、高田馬場のグランプリスポーツの懸賞にハガキ応募して、2等だかに当選して、アディダスのジャージの下(パンツ)だけが賞品でした。
夏休みにウキウキと高田馬場まで行って、サイズは選ばせてくれたけれど、モデルとしては紺地に白の3本線=西ドイツモデルで。ということだったですね。
(当時でも、ジャージの下だけで6,500円くらいしてたので、高嶺の花でした。学校ではヒットユニオンの無地のジャージ指定で、下だけだとたぶん3,000円くらいだったと思う)
まあ下だけ履いてるのも何なので、後に(もちろんグランプリスポーツさんで)上も買いまして、トレーニングスーツの完成です。
当時、「ダイヤモンドサッカー」でW杯の試合をずっと放送してくれてたんで、憧れて観てました。
サッカー部では1年生の時からレギュラーになり、当時はオランダ代表レプリカがユニフォームだったんだけれど、先輩のを借りて着てるレベルで。
オーノとノボルと、静岡のゴールだったかでレプリカのユニフォームに番号入れて作ってもらえるから買おうぜ!と盛り上がりまして。
僕=5番でベッケンバウアー、オーノ=13番でミューラー、ノボル=1番でマイヤーを嬉しそうに着てました。僕はご丁寧にキャプテンマークまで買って着けてました♬
高3の時に、早稲田行ってサッカーしたいけど選手で食っていけないよなぁと思い、釜本さんの義弟の福島さん(当時、住金に所属してらしたかと)という方に手紙を書いて、コーチになるにはどうしたら良いですかと不躾にも相談差し上げるとご丁寧にお返事くださって。
「コーチングを学ぶなら、ケルン体育大学に留学するのが一番。それにはパイプのある筑波大に行くのが良いでしょう。若年層を教えるなら手本を見せるのが一番。まずはしっかり自分の技術を磨いてください。」という内容でした。
そして私は高1で数学を断念して共通一次も何それ?と、私立文系一本に絞ってましたから、筑波は到底無理なところでした…(福島さんすみません…その節は本当にありがとうございました。)
90年くらいでしょうか、またサッカーやるならやっぱり、あのジャージがいいなぁと、アディダスの復刻版的なやつにしました。

写真は、「
アスレタFC/ATHLETA FC」が96年頃、世田谷の四十雀リーグに参戦していて。
多摩川沿いのグランドでのスナップ。ベンチに座ってる短髪の人がアスレタの総帥、
マルさん。
僕のスニーカーはadidasのブラジルカラーリングの限定みたいなの、背負ってるデカいバッグもadidasです、あ、アスレタFCだったね!
というわけで、ドイツモデルのジャージは僕にとって2代目ですが、「着ているうちにヴィンテージになる」私のことですんで、30年以上経った今でも普通に着てますよ(素
思えばクラマーさんがいらしてくださって、「監督はシュンではなく、ケンに。」と命じてくれたり。
奥寺さんが1FCケルン行って。
三菱/全日本の二宮さんもドイツにならって(全日本でドイツ合宿とかしてましたよね)、藤島選手でしたっけ、今で言うボランチのところにディフェンシブハーフのダイナモ機能を持たせたり。
リトバルスキーとか来てくれたり。
サッカーでたいせつなことは、ドイツにうーんとお世話になりました。言うならば、弟子である日本代表がのれん分けしてもらって、ようやく師匠を一瞬超える瞬間を作れた、みたいなことでしょうか、ダンケシェン♬
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